星ふる夜に

観劇の感想とか。過去の観劇も文章まとめ直して投稿したりしてます。

三栖公俊に捧ぐ感傷~「メサイア外伝 -極夜 Polar night-」感想

ネタバレを多量に含みます。
まだ観ていない方は、もしよかったら是非観てください。
メサイアシリーズ初見の方は、用語やそれまでの背景などざっくりとでいいので調べていただけるとより楽しめると思います。(今極夜用の三栖と周に着目したメサイア解説記事書いてます、7月1日中にはアップしたい)

 

7/1からWEB配信もスタートです(ページ下に進むとあります)、よろしくお願いします。

gyao.yahoo.co.jp

 

 

 ※以下、ネタバレと情感まみれの文章です。ヤケクソポエム。

 

三栖公俊が死んだという衝撃があまりに強すぎて、「感想」なんて書けない。
タイトルこそ感想と銘打ってはいるけれど、実際、これは私の心の整理のための文章だ。
この映画がおもしろいのかと言われたら、正直分からない。というかそもそも、三栖公俊というキャラクターに向ける思い入れが大きすぎてその判断軸自体がぶっ壊れてしまっている。
 正直、間宮レポートも、志倉さんが父親だった(かもしれない)というトンデモ後出し設定も、三栖マザーの死因変更も、シリーズ物としてメサイアを追っている身としては違和感を抱くところはたくさんある。だから、この映画が面白いのかと言われれば「分からない」と言うしかない。今までのメサイアを追ってきた人にはとりあえず見てほしい、でも、メサイアを知らない人にとっては正直その面白さが伝わるのかが分からない。「知っていることが前提」で進んでいく展開が多すぎる。今まで脈々と続いてきたメサイアシリーズの要素が各所に散りばめられた上、主役は三栖と周という、メサイアシリーズを生き抜いてきた二人である。しかし、過去作品の総決算としてのこの作品があるのなら、それはなんて二人らしい主演映画なのだろうと思った。私にとって、この映画は三栖公俊の生涯を見届けたという意味において忘れられない。

 死んだ。

 中指をつきたて水に飲まれていく三栖公俊を見た時、私はそうは思えなかった。私の中で三栖さんは最強で、かっこよくて、でも不器用で。いつだって死の淵から這い上がってくる人だったから。最後の最後、エンディングになったら生還して周のもとに帰ってきてくれると思っていた。でも、現実は違った。三栖さんは水に沈んだまま、帰ってくることはなくて。鋭利と珀のやりとりと、周の執務室に残されたくまのぬいぐるみと書き置きが残酷なまでに三栖さんが死んだことを示していた。エンディングでその事実を突きつけられ、涙が止まらなくなって私は泣きじゃくった。

 映画でこんなに泣くのは、後にも先にもこの作品が最後だと思う。それほどまでに泣いた。私にとっては、「ただのキャラクター」という次元を越えていた、三栖公俊の死を思って泣いた。三栖さんがいたから、メサイアが大好きになった。だから私のメサイアは三栖さんありきのものだったのだ。もともと、作品内におけるキャラクターの死に対して涙腺は緩まないほうだったので、自分でも自分の涙の量に正直ドン引きである。
 エンディングで泣いている時、頭の中には泣きじゃくる周の姿が浮かんできていた。「なんで三栖さんが死ななきゃいけないんだよ!」そのとおりだと思った。なぜ三栖さんが死ななきゃいけなかったんだろう。
二回目に観た時、そのシーンの玉城さんの悲痛な演技があまりに真に迫っていて、更に私の心をえぐった。周に最期の言葉をかける中村さんの演技があまりにも弱々しくて小さくて、最強の男三栖公俊の最期がこれかと、また涙がでてきた。でも、その言葉は、表情は慈愛に満ちているようにも見えて、また更に泣いた。
私はこのシーンが大っ嫌いで、大好きだ。どうしようもなく。

 

終点としての「メサイア外伝」

この作品は、前述したように過去作品の要素をふんだんに詰め込んでいる。だからこそ、過去作品の知識があると楽しいし、むしろ知識がないとついていくのが厳しいだろう(特に専門用語)。ゆえに極夜からみる場合は事前に前シリーズの展開だけでも知っておくと楽しめると思うのだが、この作品がそういう構成になっているのも、シリーズのテーマが「三栖と周の卒業ミッション」*1だったからだろう。
片割れが死んでしまうと卒業ができないサクラ候補生。
片割れが死んでも、その片割れが唯一無二だからこそその死を受け止めて前に進む周。
メサイア極夜が迎えたエンディングは、このふたりにしかできない卒業の仕方なのだ。だから、三栖公俊は死ななくてはいけなかったのだと思う。この二人の絆の形は、三栖の死によって完成されたのだ、皮肉なことに。そして、この二人が絶対的にサクラ候補生とは違うということもまた、三栖の死によって証明されたのだ。
だから、この作品が三栖と周の終点だった。三栖公俊が死んでこの作品は完成した。彼は死ぬしかなかった。彼がメサイアシリーズという長い旅路の果てに得たものと、失ったもの。周という守るべきものを得た、自分の信念を託せる相手も得た。その代わりに、最期は自分の命を失った。その生の形があまりに美しくて、考えれば考えるほどに三栖公俊は死ぬしかなかったのだと、そう結論が導きだされる。
ただそうは分かっていても辛いものはめちゃくちゃ辛いです。なんで三栖さん死んだんだ。嘘だろ。嘘だといってくれ間宮………。

 

明けない夜

文章が乱れました。
「暁を越えた」。『メサイア 暁乃刻』を観たことをそう例えることがある。それになぞらえて、極夜を観たことを「極夜を越えた」と例えることがある。でも、私はいつまでも極夜を越えたくはない。
三栖と周はずっとずっと明けない夜を過ごしていた。三栖にとって、明けない夜にも周がいたけれど、もう周に三栖はいない。それでも、周は極夜の中を生きていくのだろう。だとしたら、私も夜を越えることなく、周と同じように明けない夜の中で、極夜の中で生きていきたい。

中村さん、玉城さん、ありがとうございました。お疲れ様でした。
またお二人がメサイアに帰ってくることを願って、ずっとずっと待ち続けます。
中村さんの中で、三栖公俊の生涯は終わっているのかもしれないけど、
君死に給ふことなかれ。

*1:日舞台挨拶の発言より